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shun21 diary

ライブレポートや観劇の感想中心。基本ネタバレします。

震災から5年

今日で東日本大震災から5年。
私自身のことだがあの時のこと、今思うことをあまりまとまらないかもしれないけど書いておきたいと思う。


震災数日前にalanのインストアライブを川崎で、LOVEちゃんのライブを渋谷で見て帰り、その数週間後にまた東京でDoAsの亮さんが出演するライブに行こうと思ってた時に震災が起きた。
地震が起きた時は自宅で寝てたがびっくりしてすぐに起き、大きな揺れが止まった頃には部屋の中がCDで溢れてた。
ノートパソコンは画面が壊れてしまった。
家の壁はずれて、庭には瓦が落ちてる。
家族は全員無事だった。
でも交通網が麻痺してしまってとても東京へは行ける状態では無かった。
震災後の東京へ行ったのは4月のレ・ミゼラブルの観劇の時。
その時は新幹線が復旧しておらず、仙台までは何とか相馬から高速バスが運行し始めたので行きも帰りも仙台からの高速バスで行くことができた。
仙台方面は高速バスの他に4月頃から相馬駅から亘理駅まで常磐線代行バスが走るようになり現在も走ってる。
新幹線は4月の末には福島駅まで復旧した。
相馬から福島駅までのバスも走るようになり東京への行き来も遠回りだができるようになった。
更に去年の4月から常磐道が全線開通したことにより相馬・南相馬から東京までの高速バスが走るようになり、ますます東京へ向かうのが楽になった。
ただどうしても特急で乗り換えなしで行けた頃に比べてしまうが東京へ向かう手段が増えただけでもありがたい。


ライフラインは電気は大丈夫だったが、水道が止まって生まれてすぐにアトピーと診断された私は何日も体が洗えないのは痒くて辛かった。
親戚の家は電気も水道も大丈夫だったので1度だけお風呂に入りに行った。
飲み水は父の友達の家から水道水をもらい、トイレの水は近くの川から汲んで何とかなった。
食料やガソリンはスーパーなどでは物がなく、物が入っても全商品の中から1人10個までと個数制限。
ガソリンスタンドではリッター制限。
電話はネットだけ繋がって通話はほぼダメで親戚と連絡がついたのが1週間後。
親戚は心配でたまらなかったらしい。
電話が繋がった時の親戚の声が忘れられない。
周りの助けもあり、何とか生きることができてるんだなと改めて感じました。


私は12年前にうつ病の診断を受けてる。
今もうつ病で2週間に1回、隣の南相馬市に通院している。
「どうして相馬市じゃないの?」と思われるだろうが当時精神科が相馬市にはなく、心療内科が出来たのも震災後の話。
普通どの市にも精神科は1つはあるだろうと思われるが本当の話。
震災から数日後、原発のことがあるからと思い心療内科の薬をもらいに南相馬市の病院に行き、ギリギリ間に合った。
ただ院外処方なので薬局探しをしたんだが空いてる薬局も少なく空いてる薬局を片っ端に回って4週間分が2週間分になったが何とかもらうことができた。
その後、南相馬の病院は福島原発事故の影響で休院。
その間、何度も言うようだが相馬に当時は精神科が無かったため、薬だけを相馬の知り合いの内科さんに処方箋を出してもらい、何回か薬局から処方してもらってた。
その後、再開したのでまた震災前と同じように通院することになった。


精神的に一番参ったのはTVのCMがACのみになったこと。
CMがどこも流せないからといってACのみになったんだがACのCMと震災の映像がずっとループのように流れたのは精神的に壊れそうになるくらい心は辛かった。
別にACのCMが悪いっていうわけじゃない。
ただ私自身は辛かったというだけ。


震災当時、心を救ってくれたのはラジオだった。
寝る前にラジオを聞くと応援ソングがシングル曲以外の曲も流れており、色々な曲が流れる中、好きなアーティストの曲が流れた時は心が救われた。
TVは辛い映像だらけだったけどラジオに勇気付けられることって結構多かった。
昔からラジオは好きだったが、この時ばかりはラジオの力を感じずにはいられなかった。


私が応援してるお笑い芸人・サンドウィッチマンの復興支援には勇気付けられた。
彼らは気仙沼のロケ中に被災し、すぐに東北魂義援金を立ち上げて、今も義援金を届けたり宮城県を始め、東北各県に何度も入り支援してくれる姿勢に、私はこの2人と2人を支えるスタッフを尊敬する。
私は死ぬまでずっと応援し続けると思う。


今はだんだん復興していくのが宮城方面に行くバスの中から見て目に見えて分かる。
常磐線の線路が新たに作らてるのが国道6号から見えるのが象徴してる。
今年の末には予定通り行けば復活する。
震災以降遠くなった仙台がまた元の1時間で行けるやようになるのが本当に嬉しい。


ただ去年いわきへサンドウィッチマンのバスツアーに参加するために原ノ町駅から竜田駅まで代行バスに乗ったのだが、その時に見た景色は震災から時が止まったようだった。
福島原発の近くということもあり壊れた店があったりガードレールが曲がったままだったり。
南相馬から数キロでこの景色だったからこの景色を実際に見たことが私にとってショックな出来事だった。


私が感じたことを徒然と書きました。
これから・・・
改めて震災で犠牲になった方、お悔やみを申し上げます。
復興にはまだまだ時間がかかると思います。
心に傷を抱えた方もまだたくさんいると思います。
その傷が癒えることを祈ってます。
黙祷。